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第 69 話

ベスト・キッドとニューヨーク

[今回の書き手]長嶺牧子さん
2018.07.01

Ohhhh !Okinawa Karate Kid !! Mr Miya~gi
(オーーー!オキナァワ カラテキッド!!ミヤギ サ~ン)

沖縄出身です、と話した瞬間、学校一の被写体が握手を求めてきました。

住み家も決まってなく、Yes か No しか返せない能力で
留学の為ニューヨークに行きました。
偶然空いていた寮の一部屋に、留学生担当に連れて行かれ、

アジア人?!まさか一緒に住むなんて!

と衝撃を隠せないアメリカ人 カントリー娘3人(ルームメイト / 17,18,19歳)と
挨拶を交わし、私のピアノを捨てた後の、なにか探しの日々が始まりました。

授業の後、小娘たちがパーティー三昧で毎夜荒らす部屋に帰宅するのが嫌で、
バスケットボール部に入りました。
まだ英語があまり理解できてなかった私は、
日本の大学でいうサークル的な活動だと思っていたら、
ヨーロッパからバスケ奨学金で留学してきた部員もいる
ちゃんとした部活でした。

地区大会を目指す中、那覇高のバスケ部を半年くらいで辞めた程度のうすっぺらい私は
バスケ一筋で生きてきた、筋力みなぎる年下のチームメイト達についていけず、
疲労骨折してしまい、ギブス生活に入ります。

メディアを専攻していた私は、コーチから、
「練習できない間、学校のカメラを借りて録画担当してみたら?」
と提案を受け、挑戦してみることに。

時を同じく、フォトグラフィーの授業での
暗室の作業にはまり始めた時期でもありました。

それ以降、課題やプロジェクトとバスケ部の記録撮影のため、
初めて手にする大きなビデオカメラと、
お金持ちの友達から借りた立派なフィルムカメラを抱え
校内中を被写体探して走り回りました。

カメラを構えていると、今まで話したことのないクラスメートや、
距離のあったチームメイト達が
私も撮って、と接してくるようになり
人見知りな私も、写真を撮りたい情熱から、少しづつ会話が出来る様になります。

ある日、カフェテリア(大学内の自販機やテーブルなどが置いてあるゆんたくスペース)でコーラを飲んでると、
なんとも美しい顔立ちの学校一のモテ男君(あまり学校に来ない)とその友達が現れ、

「ヘーイ マッキーコ!俺たちも写真に撮って欲しいな。君、日本だって?どこ出身なの?」

と話しかけられ、

沖縄です、と答えた後の反応が、
冒頭のカラテ・キッドでした。(邦題は ベスト・キッド)

映画 カラテ・キッドに大層感銘を受けた幼少期だったらしく、
映画の話から、彼が未だ会ったことのないという中国にいる親族の話を、
色あせた古い家族写真を出して話してくれたり、
休みはモデル業やシンガー業をしてるんだ、と歌を聴かせてくれたり、友情を深めました。

その後、地元の暗室でボランティアをしたり、
他の学校の写真の授業にもぐり込んで講義を受けたりしながら、
世界の各国からニューヨークに来た色んな人たちを撮影しました。
そして会った人たちの多くが、カラテ・キッドを通して、
沖縄を知っていました。

沖縄とニューヨーク、このコンビネーションが
私の写真をかたち作る色になりました。

紙に、デジタルに、人々の記憶を残すべく
私の修行は、まだまだ続きます。
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photo by makiko nagamine

長嶺牧子さん
長嶺牧子Nagamine Makiko

那覇市生まれ。

アメリカでメディアを専攻。その一環で写真を始める。
広告・雑誌を中心に、ファッション、音楽、政治、スポーツ
などいろいろ撮影。

次回の書き手は
JABさん

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