エガクの原点とサルとオタマジャクシ
僕の小学校の入学とほぼ同時期に家族は西原町へ引っ越してきました。
当時、西原は人口も少なく町ではなく村で西原村と呼ばれていました。
40数年前のことです。
集落には茅葺き屋根の家が残っていたり、苔の生えた古い石畳があったり、
舗装されていないあぜ道には馬車が通っていたりと昔話に登場しそうな風景が
あちらこちらにありました。
家からは少しだけ海も見えましたが、それは遠くに小さくぼやけた水平線で
家の周りは木と草に覆われた山の中でした。
差すような日ざしの日には時間が止まっているような変な感覚におそわれます。
雨上がりには土と草の匂いが強く感じられます。
夏の雲は手をのばせば届く位近くにあります。
僕はそんな環境の中、小・中・高の12年間をそこで過ごしました。
大人になり、仕事として絵を描くようになった時、無意識にその風景は現れます。![]()
小学校1年生の時、校内写生大会で銀賞に選ばれました。
全校生徒の拍手の中、校長先生から受け取った表彰状は生まれて
はじめてのものでした。しかし、素直に喜べない自分がいました。
写生大会は1日を通して行う大きな学校行事で、学校とその周辺の
好きな場所を書くというものです。
優柔不断な僕は場所を決めるのに時間がかかりましたが
「自分の描きたいものを描きなさい」と言う先生のアドバイスから
飼育小屋にいるサルを描くことにしました。他に誰も描いていないことと
サルの顔がおもしろいからというのが決め手でした。
動くサルを描く難しさに四苦八苦している内に写生大会は
終わってしまい、仕上がらない子は持ち帰って宿題となったのです。
しかし、僕の家にはサルがいません。
仕方なく母親の顔にサルのからだを合わせたものを写生大会の完成作品として
提出しました。それが銀賞に選ばれたのです。
受賞作品の選考理由には「おサルさんの顔の表情がとてもよくかけています」
みたいなことが書かれていたと記憶しています。
母親の顔がサルの顔として評価を受けたことと、嘘を描いて受賞したという
複雑な心境でした。
その時の校内写生大会で金賞を受賞した同級生の作品が「おたまじゃくし」という
タイトルで画面いっぱいの池にオタマジャクシをフカンで描いた力作でした。
大人になって真似た構図で作品を創ってみましたがその時受けた衝撃には
はるかに及びません。![]()
2年生以降の写生大会で自分がどんなものを描いたのか、受賞した同級生の作品が
どういうものだったのかは、まったく記憶に残っていませんが1年生の写生大会の
「サル」と「オタマジャクシ」はおじさんになった今でもしっかり覚えているのです。

しろませいゆうShiroma Seiyu
絵本作家・アーティスト・デザイン事務所主宰
沖縄県生まれ。
第6回小学館童画新人大賞 (大賞)、第8回講談社童画グランプリ(講談社児童局賞)、
第15回集英社YJ金の熊賞(グランプリ)、第1回SVA国際絵本コンクール(大賞)。
絵本に「クワガタどこどこ/岩崎書店」、「おうさまのおしろ/セーラー出版」、
「歌うの大好き♪ミミクジラ〜/沖縄タイムス社」、「まんぐーすのプーヒヤー/沖縄タイムス社」などがある。
- 次回の書き手は
- 長嶺牧子さん