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第 59 話

オリジナリティが生まれ育つ島

[今回の書き手]伊東高志さん
2017.09.01

 20インチの小さなタイヤの自転車で速さを競ったり、自在に操り無数のトリックを披露したり、アクロバティックな乗り方が魅力の自転車競技、それがBMX(Bicycle Moto-Cross)だ。速さを競い合うレースは2008年の北京から、そして様々な形のジャンプ台や障害物を利用しジャンプの高さやトリックの難易度を競い合うパークは来たる2020年の東京オリンピックでそれぞれ正式種目として採用されメディアでの露出も増え注目が集まっている。BMXの歴史は1970年代のアメリカに遡るが、歴史的にアメリカン・カルチャーがダイレクトに入ってくる環境にあった「オキナワ」では、BMXが瞬く間に浸透し発展するのは必然だったと言えるかも知れない。

 映画『E.T.』で主人公の少年らが警察から逃げる際に颯爽と駆った自転車が大阪の小さなメーカーのBMXだったことは後から知ることになるが、その迫力と語る理由も要らないほどのカッコよさに一瞬にして惚れ込んでしまった兄に憧れ、十代前半から自分が熱中したそのアメリカン・カルチャーは、同時にまだ見ぬ同い年の沖縄のライダーたちも虜にしていた。

 17歳の夏、当時、日本のBMXシーンの中心地のひとつであった東京の駒沢公園にて行われた全国大会。まだまだヒヨっ子だった中学生の頃から参加をしていた大会で出場者の多くは旧知の仲となっており、諸先輩方にも大いにかわいがられながらも、日々の練習の積み重ねを着実に大会で披露できる力をつけていた時期でもあった自分は意気揚々と我が物顔で大会会場に乗り込んだ。

 しかし、会場で目にした同じ年頃の彼らの存在感は高く伸びた自分の鼻をポッキリ折ってくれるのにはあり余る圧倒的なものだった。もちろんインターネットは普及しておらず、実際に目にするまでに自分のローカルエリア以外のライダーのトリックを見ることができるメディアはVHSカセットという時代。そんな全国ガラパゴス状態の当時は大会で他のライダーから受ける衝撃はたいそうなものだったが、沖縄から大挙して現れた彼らの放つ衝撃は抜きん出ていたのだ。まさにそれぞれのライダーが独自の進化を遂げた独自のBMXライディングスタイルのオンパレードだった。さらにそのライディングスタイルに華を添えたのが各自で選曲できるBGMだった。沖縄のディスコティック番長DOGGY SAKがハウスアレンジした、「ちょんちょんちょんちょん♫」とフックが効くあの曲だ。オリジナリティが高く評価されるBMXにおいてこの上ないコンビネーションで完全にオリジナリティの塊と化したパフォーマンスの台風が襲来し、その日の日本のBMXシーンの話題を根こそぎかっさらっていったと言っても過言ではなかった。

 それから早20余年、11年前に沖縄に越してきた自分は彼らと模合い仲間になっている。もう本気でライディングするメンツはほとんどいないが、当時からの付き合いがこの島での生活に彩りを与えてくれていることに感謝している。また、彼らの後輩あたる若手ライダーの中に世界から注目を集める実力を持つライダーも育っていることが嬉しい。

 加えて沖縄に住んでみてBMXシーンに限らずしばしば感じるのが沖縄の持つ独自の魅力だ。世界をつなぐインターネットがあらゆる情報を提供してくれても、この土地でしか生まれ得ないオリジナリティに作り手が気がついていれば沖縄はさらに魅力的になっていくだろうし、自分もそこに積極的に加担していこうと思う。

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photo by OKU

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photo by Motoyoshi Yamanaka

伊東高志さん
伊東高志Ito Takashi

1976年生まれ。東京都出身。
12歳より本格的にBMXにのめり込み大学卒業後プロとして活動開始。
現役引退まで全国・世界各地をコンテストやショーで飛び回る。
以後アパレルに従事。
2000年
・全日本チャンピオン
・アメリカ「Bicycle Stunt Series」年間5位
・アメリカ「X-Games」9位
2002年
・アジアチャンピオン

次回の書き手は
DJ PINさん

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