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第 10 話

なんくるないさぁ

[今回の書き手]新城圭吾さん
2013.06.01

「PLANTADOR(プランタドール)です。」と伝えると、
「プランタロール?」
「プラントロール?」だいたいそう聞き返されます。
英語でもなければ造語でもない。
ポルトガル語で「植物に携わる人」という意味になります。

小学校から21歳になるまでサッカーに明け暮れていました。
高校卒業してからの約3年間夢だったブラジルへのサッカー留学。
結果は想い描いていたストーリーとはいきませんでしたが
あの時の情熱は私のMAXでした。
その時の情熱と同じくらいに気持をもつ意味で
独立する時は「ポルトガル語で
屋号は決めよう」と決めていました。
そこからPLANTADORとしてのスタートが始まりました。

私が植物やお花の世界に足を踏み入れて12年になります。
PLANTADORとして4年目を迎えていますが
私が今こうして活動できているのも
約6年間修業させていただきました
那覇市小禄にあります花屋「Ru-ga」での日々がなければ
まちがいなく今の私はないと確信をもてます。
技術的な事はもちろん
いち社会人としての立ち振る舞いや
礼儀等のいちばん大切な部分を教えていただきました。
私が師と仰ぐオーナーの平良さん。
今もこれからも私は師匠に対して「NO」はありません。
仕事に対する心構えは頭が下がりますし
その背中を見てきたので少しでも追いつけるよう
日々の仕事に対して誠意をもって向き合っています。

私がPLANTADORとして活動していくなかで
とても重要な位置を占めているのが
生産者の方々。
生産農家として生産意欲がなければ良質の植物は生まれてこないと思っています。
ということは、私も良質の植物をお客様に提供できません。
私は、注文いただき御要望にあった植物を
生産者の所に直接伺い、仕入れをしています。
時には要望を生産者の方に伝えたり、一緒にハサミを使い樹形を整えたりなどの
コミュニケーションを通しつながりを強めてきました。
仕入れ目的ではなくても、近くを通った際には顔をだし何気ない世間話などもします。
私がお世話になっています生産者の方々は、平均して私の父親に近い年齢です。
その世代の方々との「植物」を通して接しながら感じるのは
昔ながらの人情味あふれる「かっこいいオヤジ」ということです。
私が独立すると知った際には
自分の仕事そっちのけで私のトラックの荷台を製作してくれたり
面識のない生産者の方を紹介してくれたり。
「独立し始めは、いろいろ出費が多くなるからなるべく抑えろよ」
と仕入れ植物を半値で提供してくれたり。
野菜やお米を来る度にくださったり・・・。
そんな人情味溢れる「かっこいいオヤジ」方々の愛情込めた良質の植物に
ちょっとしたプラスαするのが私の仕事だとも思っています。

私の師匠からいただいた話で、とても強烈にいまでも心に残っている話があります。
「けい(私の呼び名)、なんくるないさぁって言葉あるだろ。
その言葉を軽々しく使われると頭にくるんだよな。
この言葉って、とても深いと思うんだ。
昔の方々は、戦争もあってどうやって家族を養っていくか、どうしたらうまくいくか。
とすごく悩んだろうし苦労もしたと思う。
そういう状況の中で苦労し必死で生きたなかでの
「ここまでやったんだから、なんとかなるだろ」という覚悟と
自信の裏返しなんだと思う。
だから俺は、この言葉はすごく重みのあるものだと思うんだ。
今の時代だと仕事だよな。それって仕事にもあてはまるよな」
私、衝撃でした。
「惚れてまうやろ~」と本気で思いました(笑)

独立させていただいて4年目をむかえました。
師匠からの教えを胸に、「かっこいいオヤジ」方々の人情に感謝し
本物の「なんくるないさぁ」を笑って言えるよう
「PLANTADOR」として日々精進していきます。

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気持ちを込めて

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生産者のハウスにて出荷待ちの植物たち

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生産者の農場にて用土のかき混ぜもトラクターで

新城圭吾さん
新城圭吾Kengo Shinjo

1977年 沖縄県那覇市出身。
幼少よりサッカー選手を夢見てブラジルへ。夢破れ帰国。 なぜか東京でソムリエを目指しレストラン勤務。酒に弱いことに気づき夢破れる。 ひょんなことから花・植物の世界へ飛び込む。花屋ルーガで修業し、2009年4月独立。 PLANTADORして観葉植物をメインとし飾る・魅せるを心掛け活動中。

次回の書き手は
國吉遊さん

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