1. TOP
  2. エッセイのリレー
  3. ひばり屋の看板娘
第 3 話

ひばり屋の看板娘

[今回の書き手]辻佐知子さん
2012.11.01

ひばり屋の看板娘は御歳88歳になる小さなお婆ちゃん
(本人にお婆ちゃんと言うと嫌がる)。
初対面が思い出せないほどいつの頃からか自然に挨拶を交わし
「お風呂行ってくるね!
「買い物行ってこようね」
と屋台の前を通る度に会話を交わし
私達は「友達」になった.
(屋台はオープンから約3年間は通りの隅っこで営業していました)
2007年に今の場所へ移転が決まりご近所へ挨拶に行くと
「あんた 隣へ越してくるの!?」
「ええっ!お婆ちゃんの家ここなの!?」
と手を握り合って笑い
「じゃあ、私はあんたんとこの看板娘だね」
とペロっと舌 を出し自らアイドルポジションを志願。
「人生の大先輩の言うことだ、ちょっと無理もあるが従っておこう」と
80歳過ぎた看板娘を容認。
この日から私達「女一人、気ままな暮らし同士」の楽しい日々が始まったのであります。

看板娘は実に良く働いた。
毎日お客様が居ても居なくても窓から顔を出しその日の天候をチエック。
気分が良い日には外に出てきてお客様を軽快なトークでおもてなし。
ひばり屋と看板娘の家の境にある木々の手入れ&水やり等など
看板娘が世話をしている木々は
看板娘曰く「プランタン」と呼ばれる発砲スチロールの入れ物から溢れ出るほど成長し
特に屋台後ろにあったサンダンカの花は年を追う毎に見事な花を咲かせていた。
そんな看板娘は瞬く間にひばり屋を訪れるお 客様の人気者となったのだった。

看板娘は私に色んな話をしてくれた。
30代で天に召された長男のこと、ジャスコに勤める孫のヤスコのこと
卓球が得意だったこと。
ツナ缶は出汁として使えること、氷川きよしの魅力について・・・。
いつも他愛の無い話は尽きることなく
閉店後におうちにお邪魔して2人でテレビを見ながら夕食を食べたりもした。
時たま本気でケンカもした。
自分の祖母ほどの年齢の人とガチンコで言い合うなんて経験今までなかったから
なんか変な感じだった。

私達はもう 家族の様な友達の様なそれでいて他人の不思議な関係だった。

3年前、「足が痛い」と言って夜中に2人で救急車で病院へ行った時も
「入院したくない!」と駄々をこねる看板娘と
「先生の言うことを聞いてちょうだい」と言い合う私達に
病院の人や救急の人が「ご家族の方ですか?」「いいえ 隣の珈琲屋です」と
鼻息荒く答えたのが今となっては笑えるなあ・・。
あの時家族じゃないから手続きが出来なくて
結局親戚の人に来てもらったんだけど、なんか悔しかったな。

それからしばらくして結局看板娘は入院したが
私は度々お見舞いに行き、私達は又おしゃべりに花を咲かせたのであった。
しばらく会えない時は手紙を書いた。 
看板娘は私からの手紙をティッシュに包んで枕元に置き、それはそれは大事にしてくれた。

月日が経ち、看板娘の居ない静かな小さな家は少しずつ荒れて
看板娘が日々どれだけ磨いていたかを知る。
お客様の中にも看板娘の存在を知らない方も増えてはきたけれど
「お婆ちゃんどうしてる?元気?」と聞かれることも少なくはなかった。

看板娘の誕生日を祝いに行った5月のある日。
数日前まで元気だった看板娘は容態が急変しICUに入ったと聞かされる。
駆けつけた救急病院で対面した看板娘は
もう出ない声を絞り出しなからかすれた吐息で
「珈琲屋のさっちゃんね・・」と間違いなく私が来たことを認識し
手をぎゅっと握り、ほとんど開かなくなった目で涙を流した。
手を離したらそのまま天国へ行ってしまいそうで
何度も何度も握ったら、ちゃんと何度も握り返してくれたんだよ。
でもそれが私と看板娘の最後となった。

6月16日 奇しくも、友人らが私の誕生日をお祝いしてくれた日 
看板娘は自慢の長男のもとへと旅立った。

秋が始まる頃、。家主が居なくなった看板娘の家も木々も取り壊しとなり
環境の変化と心境の変化が相まって
ひばり屋もドリップ珈琲をメインとしたメニューへリニューアルした。

戦争も経験した看板娘の激動の人生の最後に
へんてこりんな珈琲屋台との日々はどんな風に写っていたのだろうか。
少し冷たい風が吹くと、移転して再スタートを切る日の前夜
看板娘と二人して出来たばっかりの長椅子に腰かけて
足をぶらぶらしながら2人で笑ったことを思い出す。

ひばり屋の看板娘は御歳88歳の小さなお婆ちゃん 
今頃、空の上でペロっと舌を出して笑っていることだろう。

0301.png
さっちゃんのいれる珈琲は絶品!

0302.png
街のなかの秘密の花園「珈琲屋台ひばり屋」 

辻佐知子さん
辻佐知子Sachiko Tsuji

1972年千葉生まれ。ふたご座のAB型、三人兄弟の真ん中長女。バブルの恩恵を受け損ねた「すきま世代」。 エキサイティングな会社勤めを経て、 30歳で「運命の一杯」と出会い珈琲が好きになり、2004年珈琲屋台ひばり屋をオープンする。 毎日「良く笑い」「良く食べ」たまに「毒」をはく。J.C.Q.A.認定コーヒーインストラクター2級、 スペシャルティーコーヒー協会認定コーヒーマイスター。

次回の書き手は
矢野冬馬さん

おすすめ記事

ページトップへ