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第 4 話

商売道具のこと

[今回の書き手]矢野冬馬さん
2012.12.01

春待つ東京にて、採用面接。
勤務地は沖縄だがよろしいか、との常人ならば一瞬ひるむであろう唐突な問い。迷いなく水着の仕舞い場所を案じた私に軍配はあがった。そういったわけで沖縄での生活も2年目を迎え、いまや釣り具を揃えるため日々節約に励んでいる。
当方のお仕事、正しくは文化財建造物修理技術者といい、私の場合はさらに「見習い」を付した方が大変謙虚でよろしい。ようは古い建物をなおす人、加えて下っぱということである。宮大工かと聞き返されることがしばしばあるが似て非なる。私、図面は引けてもノコギリは挽けない。しかし煩わしいときなどはそうだと答え、ちょっとした混乱を招くことがある。先のエッセイのひばり屋主もそれにやられた口である。

さて。文化財と呼ばれる建物は、このご時世でも手描きで図面がおこされる。後世へ伝えるにあたり、デジタルデータは千年以上もの実績をもつ紙と墨に代わるまで至っていないのである。この辺については賛否あるところなのだが、まあそのおかげで、最近はじめて商売道具なるものができた。鳥口と書いてカラスグチと読む、図面を引くための古式ゆかしきすぐれものである。思わぬ縁あって、父のかつての愛用品を譲りうけることと相成った。
建築の仕事をやっていると、例えばカッターナイフを不気味なほど器用に操れるようになったりもする。けれども商売道具と呼ぶには、あのパキリと刃を折る便利な仕組みがどうも味けないのである。その点、烏口はえらく手がかかる。意図する太さの線を均一に引くためには、長いこと砥石とじゃれ合わなければならない。それに気持ちの動静、さらには部屋の明るさや湿度にまでも気を配る必要がある。物音しない一室で古梅園の墨を摩りながら呼吸を整えている様など、はたからは書家のごとく映ろう。しかしながら、これは自分にうっとりするための所作でなく、そうでもしないと家に帰れないのである。
また勿論、人間だものポカすることもある。そのときはカミソリの刃で紙の表面をうっすらと削ぎ、無かったことにするのだと教わった。とはいえ諸先輩方の図面を見ると、刃の痕跡ひとつ見られないものがあるから恐れ入る。見習いから足を洗うのは今日明日とはいかなそうである。

ところでこの執筆にあたり、烏口にまつわる苦労をそれなりに楽しんでいることに気づいた。せかせか歩く癖のある自分では到底座っていられないように思えたが、どこの風にあてられたのか。海辺で長いこと寝そべりすぎたか、はたまた透きとおった水に深く潜りすぎたか。
いずれにせよ箪笥の奥底でしなびていた海パンは、一転して公私にわたる活躍を見せたのである。釣り具もやはり、入用らしい。

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道具一式。犬の置物にも用途あり

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烏口を研ぐ様子

矢野冬馬さん
矢野冬馬Huyuma Yano

1984年生まれ。文化財建造物修理技術者(見習い)。大学院修了後、社寺の設計を経て現職。

活 動
2011年 ユニオン造形デザイン賞 最優秀賞 / Charity Art Exhibition コトリの蒔いた種 出展
2010年 国際コンペティション 名古屋デザインDO 空間部門賞
2009年 MITSUBISHI CHEMICAL JUNIOR DESIGNER AWARD 審査員特別賞
ほか

次回の書き手は
福島千枝さん

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