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第 49 話

日本史も世界史もはじめはだれかの自分史だった

[今回の書き手]池村海仁さん
2016.09.02

威勢良く大学を中退し、夢っぽいものを追ってはみたものの、
理想と現実のギャップにもがき文字通りモラトリアム期を充実させていた。

思えばNo.1が集まる東京で経験を積みたい!だけで沖縄を飛び出してきた。
打ち込むものはなく、エネルギーだけがありあまり、朝方まで夢物語で杯を交わし、
終電を逃し、明け方に迎え酒の缶ビールを飲みながら
246号線を歩いていた時に僕の胸にスッと入り込んできた言葉。

・・・何しに東京に来たんだっけ?

僕の家は、世の中の一般的な"普通"という定義があるのだとすれば
それとはちょっと変わっていたのかもしれない。

沖縄本島より南に400km、台湾より北に200kmに位置する東洋のアマゾンとも称される西表島にて、
パイン&マンゴーを栽培する熱帯果樹園の長男として僕は生まれました。
母親が先生だったのもあり、家には不思議な習慣がありました。
それは、1か月に1回開催される「家族会議」というもの。

そこで行われるのは、例えば

父:体重を7kg落とす

母:早起きして歩く

僕:素振りを毎日100回

などなど、目標を立て過程を見直し改善に努めるというものでした。

ズドーンとピストルの銃弾の様な砲丸玉が僕の構えたミットに収まりました。

【自分の器量を認めて人生を歩んでいれば努力なしで人生は開ける】

ヤンキースでも16勝し古巣広島カープに恩返しを選んだ男、『黒田博樹』投手が
ウォーミングアップで投げてくれた球から
一生努力しても到達しえないプロの洗礼を勝手に受取りました(笑)。
(※黒田さんは何も言ってません。あくまでも勝手にそう感じただけ(笑))

その一球から僕はプロ野球選手を目指す事を辞め、
パチンコホールスタッフ・惣菜屋のキッチン・深夜の街灯清掃・タレントのバイトやらお笑い芸人やら
バンドやらダンスやら自分が何がしたいかわからないので、やりたい事は全てかじってみました。
そんなその日暮らしを送る中で行き着いた確固たる答えが生まれました。

「僕は何かになりたいんじゃない。
 何かになった時に『西表島出身の池村です』って言って、西表島のPRがしたいんだ」
って気づきました。武田鉄也さんが福岡を愛すように。

それと同時に農業をする父親の偉大さ、島で農業を定着させた先人達の偉大さにもリスペクトが生まれました。

「よし30歳までに農業をしよう」

それまでに最速で圧倒的な経営力と営業力とIT力を身につけてUターンしよう!
6年前のGW前に1人家族会議を屋久島の森の中で決行したのが22歳の時です。

それからは、面接でも同じ話を熱量だけ右手に握りしめ、
理解してくれたフリーセルという会社で中小零細企業向けのWEBコンサルティング営業に従事し、
三現主義を大事にWEB集客のサポートをし、
ネクタイの締め方もわからなかったジャングルボーイの僕が4年の間に次長という役職まで頂き、
部下も20名ちかくマネジメントさせて頂きました。
またその流れで子会社のアザナという会社で取締役として2年在籍しました。

『日本史も世界史もはじめはだれかの自分史だった』


僕の今回の自分史は、
祖父母・父親と繋いできた西表島の農業を世界ブランドにし地域活性に寄与する為に、
将来僕が「視野は世界・視点は郷土」で自由に楽しんで動いている事を
どっかの国の世界史の授業でパイナップルおじいとして紹介してもらえてたらなと、
来月の家族会議で発表してみようかなと思う。

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パインの付加価値を探る為に泡盛メーカーとコラボしイベントを開催

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ミシュランや高級百貨店でも取引される世界で1%しか
収穫されない西表島産ピーチパイン

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宮古島からのアララガマ開拓魂で4世代。
祖父母の開拓があって今があるアララガマ魂4世代へ継承中

●アララガマ農園
沖縄県八重山郡竹富町上原10-158
http://araragama-farm.shop-pro.jp/

池村海仁さん
池村海仁Ikemura Kaito

アララガマ農園でパイナップルやマンゴーを栽培。
西表島育ち。八重山高校卒業、東京農業大学中退。上達屋ベースボールクラブ員。
(株)フリーセル、(株)アザナで営業に従事後、アララガマ農園へ。

次回の書き手は
渡口昇さん

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