つくる人と食べる人をつなぐ、暮らしと食のマガジン

おきなわいちばは
3、6、9、12月の5日発行

エッセイのリレー

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父は終戦の10日後、昭和20年8月24日、疎開先の沖縄・辺野古で生まれた。
「畳の上で生まれたから、この人は上等」というのが祖母の自慢文句だった。
出兵していた祖父は、我が子を腕に抱くこともできずに戦死した。

その後、父は18の歳になるまで沖縄で育ち、大学進学のため上京する。
そこで母と出会い、結婚、私が生まれた。

それは終戦からたった34年後のことである。

東京で生まれた私は、ものごころついた頃から盆と正月は、毎年沖縄で過ごしていた。
父も私も長男なので、帰省する度に沖縄の先祖供養を祖母から教え込まれた。
祖父はどこで戦死したかもわからないので、お墓の中に遺骨はなく、代わりに、おそらくこの辺で亡くなったのではないか、と思われる場所の石が納められていた。

石に対して親族揃って手を合わせ、拝む。

その神秘的な行為と、線香の匂い、呪文のような祖母のうちなーぐち、全てが相まって、子供ながらに沖縄の先祖崇拝が体に叩き込まれた。
幼い頃からそんな沖縄に対して、現存する非現実的な「神の島」という
感覚を抱いていた。

私が東京で成人を迎える頃、父は母を連れて34年ぶりに沖縄へ住まいを移した。
祖母も高齢になったので、父の代へ行事の引き継ぎのためだった。
私は本土に残り、一人暮らしを始めていたが、急に「帰る場所」が沖縄になったので、実家に荷物を預けにきただけのつもりが、まるで先祖に引き寄せられるかのように、まんまと移住していた。

親戚たちは長男息子の沖縄移住を大いに歓迎してくれた。
清明(しーみー)の時には、張り切って前に押し出された。
ちょっと立ち寄るだけのつもりの沖縄で、店を構え、結婚もして、娘も生まれた。

2年前、祖母も亡くなり、介護を遣り遂げた両親は、先日、再び東京へ戻って行った。

祖父母も両親もいない沖縄。新しく生まれた娘。

それはまた沖縄とのあたらしい関わりの始まりだった。

オキナワ生まれの父。
東京生まれの私。
沖縄生まれの娘。


 

PROFILE

屋部 龍馬(Yabu Ryomaさん

1979年生まれ、東京出身。
父の故郷、沖縄に移住して17年目。
北中城の丘の上でプラウマンズランチベーカリーを営み9年目。

PLOUGHMAN'S LUNCH BAKERY
www.ploughmans.net


2017.7.1

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