つくる人と食べる人をつなぐ、暮らしと食のマガジン

おきなわいちばは
3、6、9、12月の5日発行

エッセイのリレー

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「昔この通りはな。週末の夜には肩がぶつかる程人が歩いていたんだぞ?」
 とカウンターの常連さんは言う。
「えー?絶対うそでしょー?」と僕が笑うと
「ゆくしあらんどー!」とむきになるので、まんざら嘘ではなさそうだ。

うるま市石川(旧石川市)という街を知っているだろうか。
戦後沖縄で最初に栄えた街だと言われている。僕はここで生まれ育った。
小学校が終わると今は跡形も残っていないが市場があり
鰹節屋、精肉店、鮮魚店、婦人服店、迷路のような路地を走り抜け
駄菓子屋に行き、ゲームセンターで遊んだ。
休みの日は漁港へ釣りにも行ったし、闘牛場でサッカーもしたし映画館にも行った。

しかしどんどん過疎化が進み、市場や小さい商店はなくなり
代わりにスーパーマーケットとパチンコ屋が建ち並ぶどこにでもある味気ない街に変わっていった。
楽しかった思い出の場所は僕の頭の中にしか残っていない。
思春期の僕は世界中のティーンエイジャーが抱えるだろう
「行く当てはないけど ここにはいたくない」気持ちでいっぱいだった。

大学進学を機に沖縄を脱出することに成功。福岡でデザインと彫金を学んだ。
しかし卒業後も定職に就かずあちこちを転々とする根無し草のような生活を送っていた。
「もういい加減にしろ」とご先祖様が見かねたのか
いろんな事が重なり気がつけば沖縄に戻され、大衆居酒屋のマスターになっている。

この店は僕の祖母が始めたお店で、その後に伯父が継ぎ、そのあとなぜか僕に白羽の矢が立った。
僕は沖縄ソバ屋で多少の実務経験はあったものの、それ以外の料理など作った事もなかった。
はじめは断るつもりだったが「身内以外に継いで欲しくない」という祖母の想いもあり、ましてや
求職中だった僕は後に引けずなんとかなるだろうと親戚から借金して引き継ぐことに。

しかし現実は甘くはない。
席数が70席以上ある店である。たった三ヶ月ほど伯父との修行(と呼べるのか?)をしただけで
まともな営業など出来るはずもなく、今思えば当時のお客さんには
無知ゆえに無謀なことをしていた事を本当に申し訳なく思う。

あれから7年が経った。おかげさまで店のほうは何とか安定してきた。
少しずつだが料理も美味しいと言ってもらえる物を作れるようになり
もともと口下手な僕がお客さんとの会話も楽しめる余裕も出てきた。

常連さん達から聞ける「この街の話」は、そのほとんどが昔話か悪口である。
でも「やっぱりなんだかんだで、ここが好きなんだろうなぁ」と感じる。
かくいう僕もそう思える一人になった。
まだまだ寂れた田舎街だが、いつか一度見てみたいものだ。
肩がぶつかる程人の練り歩く、賑やかな通りを。


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40年来の大常連のサーヤンさん76歳と。
山羊の世話が日課。最近、ガラケーからスマホに変えるか悩み中とのこと。


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●酒楽場 うまし家
沖縄県うるま市石川1-28-18
Tel 098-965-4704
営業時間/17:00~25:00
定休日/火曜日


PROFILE

謝花 慧(Kei Jahanaさん

1981年沖縄県うるま市石川生まれ。
2009年創業37年の養老の瀧石川店三代目になる。
2012年大人の事情により店名を「うまし家」に改名。
現在に至る。



2016.05.01

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