つくる人と食べる人をつなぐ、暮らしと食のマガジン

おきなわいちばは
3、6、9、12月の5日発行

エッセイのリレー

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3年前に修業をさせてもらっていた輪島から帰ってきて、僕が木を加工して形を作り、それに妻が漆を塗るという分業で器作りをはじめました。はじめた当初イメージしていたのとは大分違う展開ですが、ありがたいことにちゃんと仕事になっています。

僕たちは帰ってきてからたくさんの人と出会い、再会しました。ほとんどの方が僕らより先輩で経験豊富な方々ですが、なんだかみんな仲良くしてくれるのです。そして僕らにとって必要なもの、知らなかったこと、大事なことをそっと手渡してくれます。ものを作る根本的な考えに悶々としていたときは、それを見かねた友人が沖縄で長く焼物をやっている方を紹介してくれ、そのひとつひとつの言葉の重さ、懐の深さに目から鱗がボロボロと落ちたり、初めての子育てに四苦八苦しているときには、子どもってこんなだよーとアドバイスをくれたり、ときにはパンとか野菜とかを分けてくれたり(これには本当に助けられた!)、もの作りをしている先輩からは具体的に仕事の進め方とか、お店とのお付き合いの仕方を教えてもらったりと、みなさんに支えてもらっています。

そのお陰で僕らの仕事も少しずつ前に進みましたが、もちろん行く先々には壁もあります。 ある時期、もっとここでの生活に合う漆の器ってなんだろうと考えていたのですが、それを乗り越えるのに力を貸してくれたのは、沖縄の素材でした。
はじめた当時は輪島から持ち帰った材料を使っていたのですが、ひょんなことから地元のセンダンの木を使って器を作ってみたところ、それまでその材の欠点と思っていた粗い木目や木肌が、漆を塗ることによって木目は抑えられながらもうっすらと残り、木地(漆を塗る前の木の状態)ではガサガサしてしまう部分も面白い表情を見せてくれたのです。そしてその器は沖縄の気温や湿度、光や料理によく合うものでした。
更にこれをきっかけに少しずつですが、地元でも僕らが作る器が受け入れてもらえるようになった気がしています。

いまでは地元の素材を使って、現代のここでの暮らしに合うものを作り、沖縄の人に漆の器の良さを伝えることが自分たちの役割だと勝手に思っているのですが、「役割」という捉え方をした頃から、僕の中の考え方がまた少し変わりました。
簡単に言うと自分だけのことではないということなのですが、するとまたパアッと視界が開け、自分が大きな流れの中にいて、そのときの僕は一生懸命にひとところにいようと抵抗していることに気付きました。流れは次第に早く強くなってきていて、もう留まっていることは難しくなったので、手を離して流れに身を任せることにしました。そうやって流されはじめて周りを見渡すと、この文の最初にあげた友人(そう言ってしまおう!) は皆、その大きな流れの中で進むべき方向に舵をとり、何人かと協力したりして前に進んでいたのです。
その流れとは、時間や人、そして土地の力。
そうだったのか、そういうことだったのか・・・また目から鱗です。
「沖縄に支えられている」
そう気付いたとき、僕は改めて沖縄に感謝せざるを得ません。
僕らが帰ってくるべき場所をスッポリと空けて待っていてくれて、出会うべき人や素材、悩むべきこと、その解決方法、全てを用意してくれいている。いいことも悪いこともたくさんの時間の堆積の中にはあり、これからも続いていく。
その間に僕らはいて、次につなげるだけ。ただそれはより良い方向に導く努力をしないといけない、そのために自分はいるんだろう。僕にはその流れを読み、最善を尽くし、祈ることくらいしか出来ないけど、僕はその役割に全てをかけてみようと思う。

ありがとう沖縄様。

 

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   家の周りの風景   

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 器にするための材を木取る             沖縄での個展の会場風景

    

PROFILE

渡慶次 弘幸(とけし・ひろゆき) さん

1980年生まれ。沖縄県出身。
沖縄県工芸指導所木工研修終了後、2003年石川県輪島市の桐本木工所に弟子入り。
2010年に名護で「木漆工とけし」として夫婦で漆の器を作りはじめる。

2013.04.01

 

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